声
たまごがひとつ。
ここに重力は無いようだ。
遠近感もつかめない。
両手で包んでいたはずなのに。
かたいかやわらかいか、
うすいかぶあついのか、
手触りもわからない。
「 冷静に、」
耳元で誰かがささやく、
よくしっている声だ。
そう、冷静に。
たまごがひとつ。
中身は?
からっぽかもしれない。
可愛らしい雛が眠ってるかも。
それとも、角をはやした緑色のあいつが、潜んでいるのかも。鋭い角の先で殻の内側からちいさな穴をあけて、真っ黒い目でこちらをみているのかも、息をころして。
踏み潰そうか、思いきり。
「 ねえ、聞こえてる?」
うん、よく聞こえてるよ。
バスクのひつじ
まいにち、おもうことがある。まいにち、おもうひとがいる。まいにち、することがあって、まいにち、どうにかいきている。きょうのスパイスは、鯨の声と、アルコール。
お元気ですか?
わたしは、元気とかそうじゃないとか、どちらともいえないのだけど、だいたい、だいじょうぶ。
箱の中からでてこない亡霊は、シュレディンガー疑惑をかけられているところ。遠隔操作、幽体離脱、エクトプラズム、髪の毛と爪、水中実験。
肉体に纏っている目にはみえないものって、海の満ち引きみたいに、いつのまにか変化している。あれ、ここどこだっけ、って、とつぜんおもったりして、まあやるしかないな、なんて、諦めにも似ているふうな心持ちで、ふらふら、歩を進めたりして。
朝から雨が、降り続いてる。
夢の中でも、降っていた。待ち人のこないまま走り出したタクシー、同級生たちのまだらな声、訪れた夜はこれからだったのにと目がさめておもった。
さっき洗濯をしようと、カゴから服をぽいぽい取り出していたら、恋人の靴下が発酵していて、ひとり顔をゆがめてわらってしまった。チーズも、とびきりくさいのが、すきだなとおもって。いきているにおい。
数日前、万華鏡みたいなひとに出逢った。するする、じぶんの口からことばがでてきて、ふしぎだった。すごく、うれしい。
遊び道具を手にいれてしまったわたしは、今にもお湯が沸きそうなきぶんです。たのしみなことが、いくつもあるんだ。春は、まだかな。
ち にく ほね
二月二十八日、
コマドリの四回忌だった。
友人と、献杯しようということになり、夜になってから電車に乗り込んだ。川崎という街には、なかなか馴れない。どうしてか、わからないけど。
九回裏、というお店に連れていってもらった。カウンターだけのこじんまりした店内だけれど、静かな活気があるように感じて、居心地がよかった。ハイネケン、ではないビールで乾杯して、いろいろなことを話した。
時間が経って、気づくことがある。知らなかったことを知って笑えるのも、いまだからなのかもしれないとおもって、鼻の奥がツンとした。
「 変わらないね、」と友人がぽつり口にして「 変わらない?」とわたしが問うた、そのあとはどんな話をしたっけ、青汁ハイを呑んで、玉子焼きとアスパラをつまんで、泥亀という焼酎を呑んで、
コマドリが死んで、わたしは自分のせいだとおもった。いまもおもっているふしがあって、できるだけすべてを忘れないでいようとおもいつづけている。責める、のではなくて。気づかされたことを、わたしはわたしの意思でちからで、ちゃんと持っていたい。
あるものはある。ないものはない。ゆめならいくらでもみればいい。よごれたら、きれいにすればいい。
三大欲求があるうちに、生活をしゃんとしよう、そうおもっています。
パズルはまだまだ完成しないし、山あり谷あり、曲り角で狼でてくるし、かわせば落とし穴、撃たないピストル構えられても困っちゃうし、ってわたしも構えてんじゃん機関銃、射程距離遠すぎてムリ、いやいけんじゃね?撃つ?どうする?いっそ投げる?走ってって殴る?暴力よくない?じゃあ3回噛んでペッてしてやる。もう愛じゃんソレ。愛ってなに?しらないけど、雪によく似てるって噂だよ。そっか、雪か。
なにを言いたいかなんて、瞬間ずつで変わっていくから、桶屋は儲かるんでしょうか。あっちこちで、水がこぼれてる。じゃあもういっそ、棺桶で。
たのしいのが、いいよね。
ヘルダーリン
おだやかすぎるような、正午。
早起きの恋人をいつもどおりにみおくって、もうひと眠りしようかとベッドにもぐったけれど、頭がさえてしまって、煙草に火をつけた。
掃除、洗濯、
お昼ごはんにはあったかいお蕎麦。
物置きと化しているソファの裏を覗きこんだら、エフェクターの空箱、くしゃくしゃのトートバッグ、落書きして丸めた紙、いろ、いろ。バスタオルとシャツとカーディガンが一緒くたになってでてきて、猫なの?と笑ってしまった。真冬のあたたかい日に、夏のうたをききながら。
ことばにならない感情が、たくさんあって、ふいにこぼれる。はみだす。できごとはおきつづけるから、必然とか運命とか、そういうことばにされることもある。することもある。
だけど、だいじなもんはだいじで、つづけたい、つづけようって、そういうのが重なっていって、交差して、
なにより、あったかいお蕎麦にのっけた卵に、もしかしたらあたった可能性をひしひしと感じている腹、なう。
めげずに、いきましょ。
こんなことも、ある。
糸
気がついてしまった。その瞬間、ぺたりと全身にへばりついていた薄皮が剥けるような、わたしを囲い覆っていた殻か壁か、何かが、ガラガラと音を立てて崩れたような感覚がした。
すこしの恐怖と、安堵。
だから、だったのか、しばらく、靄のかかっていた頭が、晴れたようで、でもなんだか、ゆらゆらしている。自問自答して、決めるのがいい。焦らず、たしかなことを、見極めようとし続けよう。
自身に厳しいひとがすきだ。
すき、というよりも、尊敬できる。それは、わたしはわたし自身に、そうありたいとおもっていると同時に、むつかしいことでもあるから、と感じているからだとおもう。
葛藤しているひとは、うつくしいと、やっぱり、かんじているよ。
目には目を、歯には歯を、になってしまうと、もう、ごろごろ、転がっていくのだとおもっていて、なのにハンムラビ的になってしまうことがあって、いやになる。法典は悪くない。わたしがわたしの成分に反するのだとおもう。それで、だけど、でも、どうにもならないものは、ならない。どっちもこっちも。
すこし、もうすこしおちついて景色をみれたとき、やっと、方向を変えるかもしれない。そう、確信にも似た予感がしてる。なにがあってもだいじょうぶだとおもいつづけてるから。
過信か?そんなもの、過ぎてしまえば笑い話にもなるのだろう。という過信。放置したままの傷は膿まずにもう、乾きつつある。
信じていよう、わたしを。
だけどもっと、雪がふればいいのに、
Suicide apples
さいきんのこと、
午前5時前、自転車で、家までの道、しめっぽいくうき、つめたくも、あたたかくもなくて、この冬にはまだしっかり雪もふっていないのに、すっかり春みたいだとおもった。桜の木がならぶ路地を覗いてみたけど、やっぱり、葉もなにもついてはいなくて、ちょっと、わらった。せっかち。
集中力が途切れているのか?頭の中をさぐってみた、そもそも、いつからか何にも集中していないし、逆に、二十四時間集中していることが当たり前のようになっていることにきづいて、驚いた。いろんなことが、ごくしぜんに、ある、うまれて、きえていく。
しばらく、泣いていない。どうしてだろうとわけをさがしてみたとき、ずっとわたしのなかにあったある成分が、ちりぢりになったしゅんかんがあったことを、確認できた。なにかを失ったときには、かなしさ、みたいな感情がうまれることがわたしはおおかったけれど、なみだにつながっているであろう感情の線が、体内からぷつんとちぎれていったようなかんかく。
先々週前くらい、あるひとに、きみは黒目の奥にいつも氷があるね、と突然言われた。雪じゃないですか?と問うたら、雪なら溶けるもの、と。どういうことなんだろう。つめたさ、かしら。
ソウルジェムがにごらないように、生きようって、あれからずっとおもってる。そういうことなんだとおもう。それは、これまでも、これからも。
だから、だいじょうぶ。しつこい九官鳥みたいに、くりかえす。
おおきく育った植物を、ひと回り大きなプランタに移しかえる夢をみた。
わたしはどうやら、うれしいらしい。
クリスマスの夜は、ともだちと、おさけをたくさんのんで、おいしいものをたべて、ぎゃーぎゃー騒いだ。冷凍のブルーベリーを手づかみで食べたから指先がどす黒く染まっていて、壊死してるのかとおもったと、ともだちがおどろいて、ゾンビのまねしてわらったりして、タクシーで車酔いして、フルーティなゲロを吐いて、
物音がして、目をさますと、ノッポのサンタクロースが部屋にいたから、おかえり、ってわたしは言った。
それぞれの季節をすきになっていくことは、自分自身やだれかのことを、すきになっていくことに等しいかもしれない、そうおもった。らぶ