mi-ow
ひさしぶりに、日記でも書こうとおもったら、記憶の無いままに書いていた数日前。何を思っていたか、それすら分厚い磨り硝子の向こう。こんなばかは他に知らない。
過去に苛まれるのはじゅうぶんだ。苛まらせているのは自身なのに、そんなふうにいうのは、愚の極みだとぶつくさ、疼きつづけるのは傷かメダカか未だ見ぬものか。
仕事が決まりそうだったけれど、うまく事は運ばないものなのか。
猫が、かわいい。よくわからなくて。亀が、かわいい。わかりやすくて。形、手触りがあって、温度、匂いがある、なんかすごいなっておもう。通じない言葉は、どうでもいいと、たったいま感じた。
やわらかい芯を、目的にしよう。わたしの立てた標識は、いつのまにか変化する。立てずして在るものが、在り続けることのほうがおおいのは、きっと自然にうまれて自然に去るからなのかもしれない。輪廻が重なり、うごきつづけているのがみえるみたい。
声
たまごがひとつ。
ここに重力は無いようだ。
遠近感もつかめない。
両手で包んでいたはずなのに。
かたいかやわらかいか、
うすいかぶあついのか、
手触りもわからない。
「 冷静に、」
耳元で誰かがささやく、
よくしっている声だ。
そう、冷静に。
たまごがひとつ。
中身は?
からっぽかもしれない。
可愛らしい雛が眠ってるかも。
それとも、角をはやした緑色のあいつが、潜んでいるのかも。鋭い角の先で殻の内側からちいさな穴をあけて、真っ黒い目でこちらをみているのかも、息をころして。
踏み潰そうか、思いきり。
「 ねえ、聞こえてる?」
うん、よく聞こえてるよ。
バスクのひつじ
まいにち、おもうことがある。まいにち、おもうひとがいる。まいにち、することがあって、まいにち、どうにかいきている。きょうのスパイスは、鯨の声と、アルコール。
お元気ですか?
わたしは、元気とかそうじゃないとか、どちらともいえないのだけど、だいたい、だいじょうぶ。
箱の中からでてこない亡霊は、シュレディンガー疑惑をかけられているところ。遠隔操作、幽体離脱、エクトプラズム、髪の毛と爪、水中実験。
肉体に纏っている目にはみえないものって、海の満ち引きみたいに、いつのまにか変化している。あれ、ここどこだっけ、って、とつぜんおもったりして、まあやるしかないな、なんて、諦めにも似ているふうな心持ちで、ふらふら、歩を進めたりして。
朝から雨が、降り続いてる。
夢の中でも、降っていた。待ち人のこないまま走り出したタクシー、同級生たちのまだらな声、訪れた夜はこれからだったのにと目がさめておもった。
さっき洗濯をしようと、カゴから服をぽいぽい取り出していたら、恋人の靴下が発酵していて、ひとり顔をゆがめてわらってしまった。チーズも、とびきりくさいのが、すきだなとおもって。いきているにおい。
数日前、万華鏡みたいなひとに出逢った。するする、じぶんの口からことばがでてきて、ふしぎだった。すごく、うれしい。
遊び道具を手にいれてしまったわたしは、今にもお湯が沸きそうなきぶんです。たのしみなことが、いくつもあるんだ。春は、まだかな。
ち にく ほね
二月二十八日、
コマドリの四回忌だった。
友人と、献杯しようということになり、夜になってから電車に乗り込んだ。川崎という街には、なかなか馴れない。どうしてか、わからないけど。
九回裏、というお店に連れていってもらった。カウンターだけのこじんまりした店内だけれど、静かな活気があるように感じて、居心地がよかった。ハイネケン、ではないビールで乾杯して、いろいろなことを話した。
時間が経って、気づくことがある。知らなかったことを知って笑えるのも、いまだからなのかもしれないとおもって、鼻の奥がツンとした。
「 変わらないね、」と友人がぽつり口にして「 変わらない?」とわたしが問うた、そのあとはどんな話をしたっけ、青汁ハイを呑んで、玉子焼きとアスパラをつまんで、泥亀という焼酎を呑んで、
コマドリが死んで、わたしは自分のせいだとおもった。いまもおもっているふしがあって、できるだけすべてを忘れないでいようとおもいつづけている。責める、のではなくて。気づかされたことを、わたしはわたしの意思でちからで、ちゃんと持っていたい。
あるものはある。ないものはない。ゆめならいくらでもみればいい。よごれたら、きれいにすればいい。
三大欲求があるうちに、生活をしゃんとしよう、そうおもっています。
パズルはまだまだ完成しないし、山あり谷あり、曲り角で狼でてくるし、かわせば落とし穴、撃たないピストル構えられても困っちゃうし、ってわたしも構えてんじゃん機関銃、射程距離遠すぎてムリ、いやいけんじゃね?撃つ?どうする?いっそ投げる?走ってって殴る?暴力よくない?じゃあ3回噛んでペッてしてやる。もう愛じゃんソレ。愛ってなに?しらないけど、雪によく似てるって噂だよ。そっか、雪か。
なにを言いたいかなんて、瞬間ずつで変わっていくから、桶屋は儲かるんでしょうか。あっちこちで、水がこぼれてる。じゃあもういっそ、棺桶で。
たのしいのが、いいよね。
ヘルダーリン
おだやかすぎるような、正午。
早起きの恋人をいつもどおりにみおくって、もうひと眠りしようかとベッドにもぐったけれど、頭がさえてしまって、煙草に火をつけた。
掃除、洗濯、
お昼ごはんにはあったかいお蕎麦。
物置きと化しているソファの裏を覗きこんだら、エフェクターの空箱、くしゃくしゃのトートバッグ、落書きして丸めた紙、いろ、いろ。バスタオルとシャツとカーディガンが一緒くたになってでてきて、猫なの?と笑ってしまった。真冬のあたたかい日に、夏のうたをききながら。
ことばにならない感情が、たくさんあって、ふいにこぼれる。はみだす。できごとはおきつづけるから、必然とか運命とか、そういうことばにされることもある。することもある。
だけど、だいじなもんはだいじで、つづけたい、つづけようって、そういうのが重なっていって、交差して、
なにより、あったかいお蕎麦にのっけた卵に、もしかしたらあたった可能性をひしひしと感じている腹、なう。
めげずに、いきましょ。
こんなことも、ある。