紐っていうより糸
ついにちょっと水が溢れた感覚がした。涙腺の話では無くて。塵も積もれば、なんだね、ことわざすごい、とおもった。
わたしは随分と変わった。だけど根本は変わらないんだな、と痛感していて。石の上にも、何年だっけ。忘れちゃった。忘れちゃおう。石なら温まらなくていい。
だいじなことは、わかってた。
人生を変えたような瞬間がこれまで二度あって、ああまたくるかな、とおもっているけど、きっともう既にわたしの中身は変化した。もしもそうなったら、もうほんとうにすごいたのしみすぎるしこわくてやばいんだけど、そうじゃなかった場合の先、この色が薄れるかというとまたちがうんだとおもう。脳内垂れ流しでこんなところに綴ってもだれもわかんないんだろうけど、わかってほしいわけじゃない。
興奮してるだけ。
吐きたいだけで、
みんなじぶんの都合でやってるじゃない。わたしだってそうだし、それならちゃんとやろうとおもってる。まもりたいものをまもりたいし。まずは生活がだいじだ。想像するのは純度がたかいけど、現実をみるということ。
しなやかなあのこが、ロボットみたいにしか動けなくなっているのをみていられない。鳥でも猫でも構わない。これは義務感でも情でもない。
じゃあなに?
にがい
家の近所には、まるいかたちをした街灯がおおいようなきがする。
いつかの満月の夜、ぼんやりした頭で歩いていたら、どれが月なのかわからなくなって、わらいながらないたことをおもいだした。くるっているのはわたしか、せかいか、歪んでいるのはめだまか、空間か、そんなふうにかんじたんだったとおもう。
じかんが、いつだってひつようなのに、のんびりしてたら時間切れ、なんてことを想像したりするじゃない?しないひともいるだろうけど。何様かしらないけど、ぼくらは天秤にのせられて、重い軽いそうじゃないとつまんで放り出されゆれつづけてるようなきぶんになったりして、
あのお弁当には何がはいってるだろうか、じぶんがつくるんだったら、入れるものは決めれる。だれかがつくったものなら、あけるまでのおたのしみ。シュレディンガーのお弁当、あけたら、からっぽかもしれない、だけどすごくおいしそうとかんじるかも、
ポケットには、いつでも塩を入れておこう。どんな料理だって、一振りで、あじは変わる。
ゆうべ、恋人と花火をした。
ぱちぱちして、うれしかった。
吸いさしの
ゆうべは、すごくうれしいことがあった。ちぎれたかな、とおもっていた道は、まだそこにあった。ただただ、よろこべはしなかったけれど、わたしの芯のぶぶんが、うれしくて。よくないけど、よかった。
ひとの話を聞いていると、いつのまにか自分のどす黒い部分が、ちょっとうすくあわくなっていたりする。
すくって、すくわれる。だれかをすくおう、なんておこがましいとはおもっていたけど、いろんな形のスプーンをもっていたいといまはおもう。
亀が脱走してダッシュするのを目の当たりにした。実はめっちゃ足速かった。 ねこがアザラシみたいな格好で、すうすう寝息をたててる。どんどん冬毛が抜けて、毛質が変わってくのすごい。人間がそういう体質になったら、かなりびっくりするだろうな。
変わりたくなくても変わってくことはたくさんある。いまは、なにがどうなっても大丈夫かもなと感じてて。寝て起きたらどうなるかわかんないけど。
いいわるいなんて、自分で決めればいいんだ。それすら変わるんだから。だけど、そのときにだいじなことはみんな、つれていくんだ。つづいていくことって、なんかすごい。
歯をみがこうとしたら、歯ブラシが4本になっててわらった。歯みがき、だいじ。きょうはよくねむれるようなきがする。
ももんが
いろんなことがあるなあとおもって、ちょっとわらった。気にしてた自分がばかだったなとおもうことってけっこうある。恩をきせる気は毛頭無いけれど、陰口みたいなものに嫌悪や恥をわたしは感じるんです。ただの悪意だと自分が感じたら、離れたほうがいいとおもっているし、そもそもさよならすら必要では無いけれど。何も知らずにあの人はぺらっぺら垂れ流しているのだし。言われたこっちが見てて恥ずかしい。生きていればみんな歳をとるってこと、知らないのかな。ご自分もですよ。
では、お先に失礼します。
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きのう、ふと思いたって、人を誘った。ずいぶん痩せていたからか、生気がうすくなっているように感じたし、周りのいろんな人たちが心配していたのもあったけど、笑顔がみれてよかった。彼がうたうのをみてきいたことがある。この生き物初めてみた、とびっくりした。たましいがうたってるかんじで。ぎゅ、っと内臓や脳みそが絞られてでてくるような声に、毛穴と瞳孔がひらいたのだった。よくおぼえてる。もうすこし話したかったな、とぼんやりおもってる。
ぜんぜんねむたくならないのがこわい。お腹も空かないからお酒ばっかりのんでて、動けてて、ガソリンだなーってしみじみ感じる。天秤が音をたててガタガタゆれてる。ぜんぶしぜんなこと。ふしぜんも、しぜん。ゲシュタルト崩壊の儀。そういえば、こわれないものってあったっけ。
そのソウルジェム、濁ってない?
わたしはちょっと。
汚れたらきれいにすればいいよねって、毛足の長い野良猫がいってたのをおもいだした。
山とか谷とか
ぴし、っとした。きもち。
新しい職場に就いてまだ数回しか働いていないけど、来月から、いろんなことをさせてくれそうで。
ルールってあって、むつかしいなとおもうけど、完全にむりだーとはならないから、やっていけるとおもうし、やりたい、とおもっている。
恵比寿駅西口すぐのところに、八百屋さんと魚屋さんがあって、出勤前の夕方頃、その前を通ってちらちら、みているのだけど、いきいきしてる。ずっしりした束のクレソンが140円、とか、ざるにてんこ盛りの巻貝が700円、とか、わくわくする。そのうち出勤前とか関係なく足を止めてしまうんだろうなって。
職場には歳下の女の子が多い。話をしていると、それぞれのことを聞かせてくれてたのしい。ある女の子に、なにかお勧めの映画ってありますか?と質問されて、いま上映してるやつ?と聞いたら、アクション映画がすきな女の子がランボーの話をし始めてマシンガンをぶっ放す真似をしたけど、質問したコは???って苦笑いして、一からランボーの説明をしたりした。けっきょくあんまり伝わってなくて、ランボーの真似をしたコが「ランボーさんはね、」と言い出して「先輩なの」とわたしがつっこみ、映画の話は終了した。ばたばたしてて、たのしい。
ヒデさん、という社員さんがいる。物静かに、もくもくと料理をし続けて、ひとりごとのおおい、どこかやわらかいひと。酒呑みらしい。すごくおいしいビストロをおしえてもらった。「女性には敵わないけどね」と彼はわらって、頼もしいひとだなとおもった。
お店のすぐ裏にタコ公園があるとしって、終電ぎりぎりだったけど煙草を吸いに寄った。薄暗い中でもタコはすごく赤くて、近づいたらタコの中で人間のアベックがいちゃいちゃしてたから足速に公園を出た。
歩きたい気分で。池袋駅を降りて歩いてると、アコースティックギターを弾きながらうたっているひとがいて、その横でジャンベをものすごくいい音で鳴らしてるひとがいて。人だかりができていなかったら話しかけていたかもしれない。掻き分けてればよかったかもといまはおもう。週末にまた同じ道を通ってみよう。
きのうから何にも食べていないことにきづいた。欲求がぺらぺらだ。おなかがへらない。だけどねこがニャァとなくと、それでおなかいっぱいになるきがする。ちょっとつかれたからねむれるといいなとおもう。
はやく夏がくればいい。
匂いがしてる。
チーズのプール
夜が、ずっとすきだった。
朝なんてこなければいいと心底おもった日はどれだけあっただろうか。
太陽のひかりを浴びすぎると、体が重たく怠くなることにきづいて、長年で築いていたこの体質をうらめしくおもっているさいきん。外に出るのはすきだからどうにかしたい。
いま、自らの計算の甘さや惰性や詰めの弱さのおかげで、ぎりぎりのところにいる。あーやっちまったな、と、ついに笑えたりもするくらいで、笑ってる場合じゃないのよ、と、更にわたしが言う。そうなのよ、わかっているけど、わかっているから、笑いながら踏ん張るときなのだよ、と。くらいままだとカビはえちゃうかもよ、って。
きょうはげんきがなくて、はじめたばかりの仕事を休もうとした。けど、いちどあまえたぶぶんは、ゆるゆるゆるんでいくだろうとおもって、体調絶不調でも仕事を休んだりしないひとを見習って、よっしゃと玄関を出たのだった。あたらしい職場では、まだ緊張しているけど、たのしくて、いろいろおしえてもらっていて、おぼえたいことがあって。やりかたってたくさんあるんだなって何度もおどろく。
ねむっておきたときだったり、外に出掛けて家に帰ってきたとき、ねこと亀がげんきそうにしてると、うれしい。ただそれだけのことだけど、それってすごいことだなとおもって。いのちはいっしゅんだから。わたしは単純過ぎるのかもしれないけど。
ひとりで考えても仕方の無いことは、できるだけ考えずにそっと置くことにした。モーゼもびっくりなくらい、ひとつのことばかり考えすぎて海も割れそうウワーってなるから。罪の無い魚も干からびる。
電車に揺られていたら、ともだちのうたが耳にながれてきて、なきそうになってイヤフォンを外した。いいうた。
ぼろぼろになった靴を捨てて、ピンヒールを履いたら、きもちがしゃんとした。たいせつなものってそんなにない、けどあるから、うれしい。
窓の外で近所の子供が泣き叫んでる午前3時過ぎ。恋人の虫歯がはやくなおればいいなとおもってる。
チューニング
こんなふうになりたくない、といつかおもっていたような人に、わたしはいつのまにかよく似ていた。両手の痛みや目の色は、それをきづかせた。
こうも感じた。
ずっとわたしは何にもなりたくないはずだった。なのに、いつのまにか何かになろうとしていた。いいわるい、わたしの中でこれはそういう問題なのではなくて、すごく驚いた。くだらねえ、そうちいさく聞こえて、過去のわたしがとおくで待ちぼうけてしてわらっているのがわかった。ずいぶんとおくまできた。
わたしはわたしをむかえにいく。
あの頃、親やともだちは、わたしの生き方を心配してくれていたけど、わたしはやりたいことばかりやって、周りが引くくらい、だけどすごく生き生きしてたようにおもう。同時にそんな自身を嫌悪してもいた。コントロールなどいつだってできないまま、天秤の左右に乗って、揺れ続けてるばかりだったからだ。だけど、そんなのいまだってかわりはしないし、おなじボタンばかり力任せに押し続けていれば、壊れてしまうこともある。
わたしをころせるのはわたしなので、ぶつかって相殺の場合、またうまれちゃったりするのかな、とも予想している。
どうしたいか、それがいちばんいまはだいじだ。肉体は機能してる。
猫がこっちをみてる。ねむっておきて、ニャァと喋る。何を言いたいのかわからなくて、目をみる。やっぱりわからないのだけど、きづいたことは、ことばではなくて、行動で、彼女の訴えがすこしずつわかるようになってきたということ。人同士もにたようなものかもしれない。わたしは頭のどこかで、ずっとそのことならしっていたような気がした。
ばかにしたり、見下しているような人に、何かを発したりはしない。時間は命に等しいと、わたしはおもうから。
最後の最期には雨がふるかな。
カメレオンになれたらと最近よくおもうけど、死にたいともおもう。
忌まわしい自分は本気で殺さないと蔓延り続ける。進め。