九月の虫



二羽の羽虫が戯れ合い飛び回っているのを、線路の向こう側に見ている。見る、という表現と、眺める、という表現は、まったく違うのだろうか。或る誰か、には違うものなのだろうけれど、わたしにとっては、ドーナツの中での、焼きドーナツのようなものである。そうだ、眺める、というのはまるでオーブンでじっくりと火を通すように、


見る、は点。眺める、は面。

そうともわたしの中では変換できる。わたしはわたしがわからなくなる、ということが、頻繁にあるのだけれど。


それにしても、あの二羽の羽虫は蝶々だったのだろうか、それとも蛾か。同じ生物だとも言い切れない。九月の風が、湿気を含んで肌に張りつく。


職場のビルディングの真下に、何台ものパトカーと大勢の人だかり。それを携帯電話で写真を撮っている人たちの口元は不気味にゆるんでいるように見えた。その間を潜るように避けて歩く。何があったのかはわからない。もしあの時、誰かが亡くなっていたのだとしたら、わたしはあの場所に火をつけて、呑気な野次馬諸共、燃やすべきであったのかもしれない。正義感からでは無く、わたしが不快だからである。捕まることを、こわいとはおもわない。だけれど、真相は、延々と続く蛇腹の中なのか。



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労働中、静かになったカウンターを拭きながら「 しずけさや - 」と口走り、そこから「 雨ニモマケズ、- 」と脱線し、「 宮沢賢治は妹の死をいつでも根に絡めていたのだろうか、」という話になった。カムパネルラと彼の妹が重なり合う。「 じゃあ、太宰治は ?」と一人が。「 あれは最低の駄目人間でしょ 」とある一人が。わたしはそこで、カチンときてしまった。息を飲み、「 わたしはそうは思わないな 」というのが精一杯だった。だからかもしれない、川を目の前にすると、入ってしまいたくなるのは。



もう三年以上も住んでいるマンションの部屋を、秘密基地みたいだと感じる。いつだってどこかに帰りたいから、わたしの家を、さがしている。



こんな時期は、駄目だ。

肌を切りたくなるけれど、切りたくないから、あの場所に行こう。

天秤がゆらゆら、揺れる。