Blue trees



いつの間にか朝だった。

夜な夜な映画を観続けながら、カレーのようなものを作り、鍋でお米を炊き、裁縫をした。きのう、たっぷり昼寝をしてしまったせいかしらん。みた夢は、淫夢だったのだけれど、よく眠った。どこかから聞こえてきたピアニカの音が耳にくっついたまま、なじんで、何度も聴いたCDからもピアニカの音を拾えるようになったみたいでうれしい。



数日前、ひとつ、歳をとった。

例年通りに職場でその日を迎えたけれど、今年は記憶をなくさなかった。スタッフたち、お客さんたち、たいせつな友人2人、そして恋人までがお祝いをしてくれて、あたたかくて、うれしくて、生きていてよかった、死にたくないな、そうおもった。三十代のはじまりに、わくわくしている初秋。



これまで、たくさんつらいことがあった。たくさんのたのしいこともあった。こうやってことばにすると、軽々しい感じがするのだけれど、ほんとう、いろんなことがあって、だからこそ、いまがあって。ぜんぶをたいせつだとおもえるいまが、たまらなく愛おしい。こういうふうにおもえるのも、恋人のお陰様が大いにあるとおもう。彼は、わたしにとって、大地みたいな存在だ。扉を開いていてくれるということで、わたしの存在は、くっきりする。何があっても大丈夫、そう思えることなんて、無いとおもっていたのに。わたしがわたしでいられるというしぜんなふしぎ。いろんなことにきづく。だけど、じゃあ、わたしは何か、できているだろうか。おいしいごはんを、何度でも作りたいな。




まぶたにオモリがぶら下がってる。

おやすみなさい。