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メイプルヶ丘




夢の備忘録 -----------



「彼女は全てを愛しすぎている」という題名のついた楽譜、それは本の表紙全面に書かれている。楽譜は完成しているが、一小節だけ何も記されていない空白のある曲。屋上に置いてあるピアノの椅子に腰掛けて、それをみつめたまま戸惑っているわたし。ちかくに立っている2人の男。空は快晴で青々しく、風がやわらかく吹いている。



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夢を、よくみる。

憶えていたりいなかったり、ぼんやりしていたり、するけれど、どうしてなのだろう。夢は、記憶の整理だと聞いたことがある。食べ物と夢の関連性についての記事を目にしたこともある。例えば、眠りにつく前にレッドチェダーチーズを食べると幼少期の頃の夢をみやすくなる、だとか。しかしながら、みやすくなる、ということであって、確かなものだとは言い切れないし、そういった事前知識のようなものを頭に入れてからそれを試みるのと、何も知らずに、というのでもまた結果は違うのだろう。つまり、あらゆることが曖昧の渦の中にあるようで、考えれば考えるほど、笑えてきてしまう。だって、わたしはこういったことを考えるのが、ひじょうにすきなのだ。



ふときづいたこと。

いつからか、自室の壁に、葉書や雑誌の切り抜きなどを貼りつけているけれど、規則性は無く、縦横斜めもきちんと合わせずに、貼りつけている。それは、そうすることが落ちつくからであって、隙間までを含めてひとつの空間なのだ。街の電線たちが繋がり続けているような、道がすべてつながっているような、そういった感覚とよく似ている気がする。或る隙間は、或る時がくれば埋まり、いつまでも埋まらない隙間もある。輪が拡がっていって、狭まっていって、それはまるで呼吸しているかのようで、すべてが似ていることにきづく。そしてとつぜん、わたしはわたしがわからなくなる瞬間がやってくる。原因は?わたしによるわたしへの観察によると、それは外部への過剰意識や期待からくるのだろう。そして疑問や葛藤。それすらも、呼吸の中にある。いのち、だ。同時に死を連想する。



はー、いそがしいそがし。

細胞たちが走り回っているかんじ。だけどけっこう、たのしそう。


このひとの味方でいたい、とおもえるひとがいるだけで、いろんなことがだいじょうぶだ、とかんじていられているふしぎ。



グラッパブルな日々。