Suicide apples
さいきんのこと、
午前5時前、自転車で、家までの道、しめっぽいくうき、つめたくも、あたたかくもなくて、この冬にはまだしっかり雪もふっていないのに、すっかり春みたいだとおもった。桜の木がならぶ路地を覗いてみたけど、やっぱり、葉もなにもついてはいなくて、ちょっと、わらった。せっかち。
集中力が途切れているのか?頭の中をさぐってみた、そもそも、いつからか何にも集中していないし、逆に、二十四時間集中していることが当たり前のようになっていることにきづいて、驚いた。いろんなことが、ごくしぜんに、ある、うまれて、きえていく。
しばらく、泣いていない。どうしてだろうとわけをさがしてみたとき、ずっとわたしのなかにあったある成分が、ちりぢりになったしゅんかんがあったことを、確認できた。なにかを失ったときには、かなしさ、みたいな感情がうまれることがわたしはおおかったけれど、なみだにつながっているであろう感情の線が、体内からぷつんとちぎれていったようなかんかく。
先々週前くらい、あるひとに、きみは黒目の奥にいつも氷があるね、と突然言われた。雪じゃないですか?と問うたら、雪なら溶けるもの、と。どういうことなんだろう。つめたさ、かしら。
ソウルジェムがにごらないように、生きようって、あれからずっとおもってる。そういうことなんだとおもう。それは、これまでも、これからも。
だから、だいじょうぶ。しつこい九官鳥みたいに、くりかえす。
おおきく育った植物を、ひと回り大きなプランタに移しかえる夢をみた。
わたしはどうやら、うれしいらしい。
クリスマスの夜は、ともだちと、おさけをたくさんのんで、おいしいものをたべて、ぎゃーぎゃー騒いだ。冷凍のブルーベリーを手づかみで食べたから指先がどす黒く染まっていて、壊死してるのかとおもったと、ともだちがおどろいて、ゾンビのまねしてわらったりして、タクシーで車酔いして、フルーティなゲロを吐いて、
物音がして、目をさますと、ノッポのサンタクロースが部屋にいたから、おかえり、ってわたしは言った。
それぞれの季節をすきになっていくことは、自分自身やだれかのことを、すきになっていくことに等しいかもしれない、そうおもった。らぶ