びじょん



いろんな遊具を通りすぎて、いまわたしが立っているのは砂場だった。すべり台は、どうしてもすべってしまうし、ブランコは、漕ぎすぎてしまう。木馬をゆらすのにはもう飽きて、鉄棒なら子供のときからへただった。だから公園にいっても、だいたいベンチに腰かけて、ぼうっとしていることが多かったようにおもう。それか、森や林の茂みに秘密基地をつくって、


砂場かあ、と考えを巡らせてみると、いろんなことができるんだよな、おもった。掘って掘って、掘りつづけたら、どこにたどりつくのだろ。



こんやは、へんなよるだ。

終電の山手線、原宿駅でドアが開くと、スーツ姿の若い男が中年男性を引きずりまわしているのをみた。無理矢理乗車させようとして、中年男性は逃げようとして、そのままホームにすっ転んでった。ドアが閉まり、満員電車内の空気はしん、として、わたしの目の前にはスーツの背中、このひとはどんな表情をしているんだろうって、想像してみたけど、見えなかった。

池袋駅で降りて、駅構内を歩いていると、ご立派な排泄物が渦を巻いて落ちていて、ちょっとわらった。前に渋谷センター街の花壇にしゃがんで排便しているひとを見たことがあるのをおもいだした。いつだって既に自由なんだよな、って。ちょっと違う気もするけど。



なんにもわからないから、なんにもわからないから、いきるためにいきようとおもってる。ことばは、だいじだとおもうけど、もうひつようないきもしてる。129時間って、いきてるうちの何分の一だろうとかおもってしまう。とめたのはあのひとで、とまったのはわたし。だけど、やっぱりすべて幻なようなきがしてしまって、区別がつかないから、やっぱりいかなくちゃ。首がもげる前に。