チューニング



こんなふうになりたくない、といつかおもっていたような人に、わたしはいつのまにかよく似ていた。両手の痛みや目の色は、それをきづかせた。


こうも感じた。

ずっとわたしは何にもなりたくないはずだった。なのに、いつのまにか何かになろうとしていた。いいわるい、わたしの中でこれはそういう問題なのではなくて、すごく驚いた。くだらねえ、そうちいさく聞こえて、過去のわたしがとおくで待ちぼうけてしてわらっているのがわかった。ずいぶんとおくまできた。


わたしはわたしをむかえにいく。

あの頃、親やともだちは、わたしの生き方を心配してくれていたけど、わたしはやりたいことばかりやって、周りが引くくらい、だけどすごく生き生きしてたようにおもう。同時にそんな自身を嫌悪してもいた。コントロールなどいつだってできないまま、天秤の左右に乗って、揺れ続けてるばかりだったからだ。だけど、そんなのいまだってかわりはしないし、おなじボタンばかり力任せに押し続けていれば、壊れてしまうこともある。


わたしをころせるのはわたしなので、ぶつかって相殺の場合、またうまれちゃったりするのかな、とも予想している。


どうしたいか、それがいちばんいまはだいじだ。肉体は機能してる。



猫がこっちをみてる。ねむっておきて、ニャァと喋る。何を言いたいのかわからなくて、目をみる。やっぱりわからないのだけど、きづいたことは、ことばではなくて、行動で、彼女の訴えがすこしずつわかるようになってきたということ。人同士もにたようなものかもしれない。わたしは頭のどこかで、ずっとそのことならしっていたような気がした。


ばかにしたり、見下しているような人に、何かを発したりはしない。時間は命に等しいと、わたしはおもうから。



最後の最期には雨がふるかな。


カメレオンになれたらと最近よくおもうけど、死にたいともおもう。

忌まわしい自分は本気で殺さないと蔓延り続ける。進め。


mi-ow



ひさしぶりに、日記でも書こうとおもったら、記憶の無いままに書いていた数日前。何を思っていたか、それすら分厚い磨り硝子の向こう。こんなばかは他に知らない。


過去に苛まれるのはじゅうぶんだ。苛まらせているのは自身なのに、そんなふうにいうのは、愚の極みだとぶつくさ、疼きつづけるのは傷かメダカか未だ見ぬものか。



仕事が決まりそうだったけれど、うまく事は運ばないものなのか。

猫が、かわいい。よくわからなくて。亀が、かわいい。わかりやすくて。形、手触りがあって、温度、匂いがある、なんかすごいなっておもう。通じない言葉は、どうでもいいと、たったいま感じた。



やわらかい芯を、目的にしよう。わたしの立てた標識は、いつのまにか変化する。立てずして在るものが、在り続けることのほうがおおいのは、きっと自然にうまれて自然に去るからなのかもしれない。輪廻が重なり、うごきつづけているのがみえるみたい。




たまごがひとつ。

ここに重力は無いようだ。

遠近感もつかめない。

両手で包んでいたはずなのに。

かたいかやわらかいか、

うすいかぶあついのか、

手触りもわからない。


「 冷静に、」

耳元で誰かがささやく、

よくしっている声だ。

そう、冷静に。



たまごがひとつ。

中身は?

からっぽかもしれない。

可愛らしい雛が眠ってるかも。

それとも、角をはやした緑色のあいつが、潜んでいるのかも。鋭い角の先で殻の内側からちいさな穴をあけて、真っ黒い目でこちらをみているのかも、息をころして。



踏み潰そうか、思いきり。



「 ねえ、聞こえてる?」

うん、よく聞こえてるよ。





シトロン





自分が固執していた価値観みたいな部分が、ぐるっと変化した。こびりついてはなれなかった欲求が、ぺりっと剥がれたような感覚で、すごくふしぎだ。だけど、だから、ほんとうになんでもできる気がしている。ちょっとだけさみしくて、うれしい。きているものを、ぜんぶ、脱ぎたいようなきもち。



バスクのひつじ




まいにち、おもうことがある。まいにち、おもうひとがいる。まいにち、することがあって、まいにち、どうにかいきている。きょうのスパイスは、鯨の声と、アルコール。



お元気ですか?

わたしは、元気とかそうじゃないとか、どちらともいえないのだけど、だいたい、だいじょうぶ。

箱の中からでてこない亡霊は、シュレディンガー疑惑をかけられているところ。遠隔操作、幽体離脱、エクトプラズム、髪の毛と爪、水中実験。



肉体に纏っている目にはみえないものって、海の満ち引きみたいに、いつのまにか変化している。あれ、ここどこだっけ、って、とつぜんおもったりして、まあやるしかないな、なんて、諦めにも似ているふうな心持ちで、ふらふら、歩を進めたりして。





朝から雨が、降り続いてる。

夢の中でも、降っていた。待ち人のこないまま走り出したタクシー、同級生たちのまだらな声、訪れた夜はこれからだったのにと目がさめておもった。


さっき洗濯をしようと、カゴから服をぽいぽい取り出していたら、恋人の靴下が発酵していて、ひとり顔をゆがめてわらってしまった。チーズも、とびきりくさいのが、すきだなとおもって。いきているにおい。




数日前、万華鏡みたいなひとに出逢った。するする、じぶんの口からことばがでてきて、ふしぎだった。すごく、うれしい。


遊び道具を手にいれてしまったわたしは、今にもお湯が沸きそうなきぶんです。たのしみなことが、いくつもあるんだ。春は、まだかな。




ち にく ほね




二月二十八日、

コマドリの四回忌だった。

友人と、献杯しようということになり、夜になってから電車に乗り込んだ。川崎という街には、なかなか馴れない。どうしてか、わからないけど。


九回裏、というお店に連れていってもらった。カウンターだけのこじんまりした店内だけれど、静かな活気があるように感じて、居心地がよかった。ハイネケン、ではないビールで乾杯して、いろいろなことを話した。


時間が経って、気づくことがある。知らなかったことを知って笑えるのも、いまだからなのかもしれないとおもって、鼻の奥がツンとした。


「 変わらないね、」と友人がぽつり口にして「 変わらない?」とわたしが問うた、そのあとはどんな話をしたっけ、青汁ハイを呑んで、玉子焼きとアスパラをつまんで、泥亀という焼酎を呑んで、



コマドリが死んで、わたしは自分のせいだとおもった。いまもおもっているふしがあって、できるだけすべてを忘れないでいようとおもいつづけている。責める、のではなくて。気づかされたことを、わたしはわたしの意思でちからで、ちゃんと持っていたい。

あるものはある。ないものはない。ゆめならいくらでもみればいい。よごれたら、きれいにすればいい。



三大欲求があるうちに、生活をしゃんとしよう、そうおもっています。

パズルはまだまだ完成しないし、山あり谷あり、曲り角で狼でてくるし、かわせば落とし穴、撃たないピストル構えられても困っちゃうし、ってわたしも構えてんじゃん機関銃、射程距離遠すぎてムリ、いやいけんじゃね?撃つ?どうする?いっそ投げる?走ってって殴る?暴力よくない?じゃあ3回噛んでペッてしてやる。もう愛じゃんソレ。愛ってなに?しらないけど、雪によく似てるって噂だよ。そっか、雪か。



なにを言いたいかなんて、瞬間ずつで変わっていくから、桶屋は儲かるんでしょうか。あっちこちで、水がこぼれてる。じゃあもういっそ、棺桶で。



たのしいのが、いいよね。