ヨーヨー
ぐ、っと冷えこむ朝。
いつのまにか、もう冬だ。ふゆ。
数日前、めずらしく午前中ぎりぎりに目がさめて、もぐらみたいにのそのそとキッチンまでゆき、朝ごはんをつくった。きまぐれに、あつあつのスウプをつくって、ぜんぶ食べおわるころには身体がぽかぽかしてた。熱い汁物が、あんまり得意じゃない、気がしていたけれど、けっこう、いいかもしれない、といまはおもってる。
だいたい、食のことばかり考えている。仕事で料理をしているときも、家の冷蔵庫になにがあったっけなあ、とか、魚屋さん偵察にいかなきゃ、とか、フライパンの深さの良し悪しについて、とか、つくったことない料理を脳内羅列してみたりとか。
料理はたのしい。
おなじもの、って、なかなか二度はつくれない。それって、おいしくても、まずくても。人間関係も似ているな、と感じていて、猿でも犬でもそのときの気分とかも、あるよなって。だから、いいもわるいもあって、豊かなのかもしれないな、そうおもう。
関係無いけれど、いつかの手記に、芋について書いたことを思いだした。確かニョッキブームだったころ。芋って百面相するなあ、みたいなことを書いたような気がする。ただふかすだけでも芋、スライスしてバターで焼いても芋、粉ふきにしても芋、そっから潰して何かと混ぜても芋、そっから丸めて茹でても芋、でんぷん抜けても芋、芽がでても芋、芋芋芋、芋ゲシュタルト崩壊しても芋。芋はパクチーにはなれない。けどパクチーは芋になれない。みんなちがっておもしろい。
芋にもいろいろある。
ふと、人って芋みたいだなとおもったりしたけど、それってなんか、かわいいな。おおきい芋、ちいさい芋、恥ずかしがり屋の芋、ふてくされた芋、おこりんぼうの芋、なきむしの芋、キザな芋、初デート前の芋、酔っぱらった芋、病床の芋、食べ盛りの芋、チャラい芋、賢者タイム中の芋、小芋連れの親芋、踊る芋に見る芋、
( 果てしないのでやめましょう )
あきたこまちの玄米を手に入れて、フライパンで炊いてみた。生姜をたっぷりいれて、白だしをきかせて、平茸と秋鮭の炊き込みごはん。かるく塩揉みしておいたピーマンと白ごまを混ぜ合わせて、ほくほく、食べた。玄米って、歯ごたえがよくってすきだな。しかし、もぐもぐ食べながらも、つぎはなにつくろうかと思惑しちゃっているわたしで、やれやれなのであーる。
いちど、手を大火傷したことがあって、油がこわくなっていた時期がある。いちど、こころが壊れかけて、料理の仕方がわからなくなったことがある。どちらもすごくこわかった、料理ができなくなってしまうんじゃないかとおもって。だけどそれでも、少しずつやってみたら、いつのまにか、いまがあって。ふしぎ。
やりたいことばかりはできないけれど、それでもやるんだ、やりたいこと。いっこずつ、みつけて、拾っていくかんじで。
ぐっどもーにんぐ、
おやすみなさい。