マールボロ




欲求とは、得てして泥沼のようだとおもう。一歩、足を踏み入れる、ずぶずぶずぶ、いつの間にやら深みにはまり、あれまあ、ごぼごぼ、
あるひとは、ほんじゃー泳いでみるか、などと泥塗れの姿でへらへら鼻唄まじりに犬かきなんか始めてみる。またあるひとは、あーもうだめだ、死のう、と目蓋を閉じて最期を待つ。またあるひとは、ぜってーここから脱け出す、まじで泥も沼も天も地もゆるさねえ、などと躍起になりもがき、あれ、なんだっけ、

そう、欲求について思考していたのだった。わたしがいちばん恐れているものは、緑色した魔物だ。幼いころにみたあいつと、関係があるのかもしれない。


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ぽつぽつ、唇の隙間から水滴を垂らすように、あるひとは話し始めた。他のことをかんがえることもなく、その話を聞いていたわたしは、あのとき、ただうれしく感じた。まっすぐの筒を液体がすっと流れるみたいに、ことばの粒がつながってしみこんでくるかんかくがして、すごくふしぎだった。ことばが、いつだって必要なわけではないと、経験をもってそうおもうけれど、ことばで埋まる空洞はあるのだと、そうかんじた。


自分の首を絞めるようなことは、できるだけしたくないね。目の前に人参を自らぶら下げて延々と走りつづけるみたいな。うんざり。峠を越えても山とか谷とか斜陽とか、

ある曲をくりかえし聴いていたら、だけどわたしはいつでも、ころされるのを待ち望んでいるんじゃないか、とさえおもってしまって、感覚を立体化するようにしてみたら、ものすごくきもちよくって、ちょっとわらった。そう、そういうかんじで、



もうすぐ満月だからか、ちょっとへんなかんじ。いつでも月から逃げきりたいくせに、たぶん、わたしは振り返る。
信号は、ずっと黄色で、
赤になる前に走れ?
それじゃ、だるまさんも、転べないじゃない。
トマレ?
ヤダ。




ロカンタン



"  いつだってどこか遠くにいきたいとおもってしまうし、いつだって、いますぐここで標本になりたいとおもったりする。 "

そう書き留めたのはきのう、
このふたつの思想を、その時、まったく反することばのように、わたし自身、感じていた。まっすぐ、解釈するならば、それもそうだろうと、おもっていたのだけれど、それらを同時に感じてしまったわたしは、気づいた。

自由でいられるなら、なんだってできるのだと。あゝわたしはずっと、自由だった、と。ずっとわたしを縛りつけていたのは自分自身だったのだ。

ひとつの肉体で、このまま標本になりたい、とおもったと同時に、わたしはわたし自身が望む遠くへ、と行ってしまっていた、瞬間、どこへでも行けた、
と、ここまで書いて、そういえば、以前にも同じような感覚をおぼえたことがあったなとおもいだした。
ものすごく、ここちいいソレ。



あとひとつ、
待ちびと、の反対は、わたしは行く、で、あってるとおもわない?
まちがっていてもいいのだけれど。


きのうは電車が3分遅れていたけれど、焦らなかった。きょうは電車が2分も遅れていて、すごく焦っている。
おもしろい。


ちょっと、ビール浴びてくるね。



水底サンドリー



洗濯機をまわしていると、洗剤の匂いがぷん、と漂ってきて、いいきもち。乾かすのも、たたむのも、ほんとうはすきじゃない。日常。もし、いまこれから、洗濯を二度としなくなったら、しばらく着てあげられていなかった服も、着てあげられるかな、そのくらいのきもちでいる。すごく、へんだとおもう。


ベンジーの描いた絵は、一枚で物語だし、目の前の風景で、うたで、いきもので、煉瓦たちの会話で、溶けおちかけのクリームで、ハイヒールのきもちで、夢みる不良少年で、狼の皮をかぶったヤギとかウサギで、脱いでも脱いでも狼だったり、寝ぼけて地上に墜ちた星で、そう、そんなかんじ。個展を後にした平日の夕刻、新宿南口の喫茶店のボックス席にてアイスコーヒーを注文し、白くてまっすぐなストローで飲んだ。あじがしなかった。心臓にぜんぶ、もってかれたかんじ。

飽和、それが存在して刺激も存在するのだとしっている、ようなきがする。それこそは、どっちでもいい。だってきっとみんな、うまれたときからたいくつなんじゃないの。



いろんなものが、伝染するから、目や耳や鼻や頭のてっぺんから侵入してきては、ぐら、ってなって、靴下脱いでお口に詰めちゃうよ、って、おもうことがある、でも、そういうことじゃなくって、さわりたくないものはさわりたくないし、すきなものはどうしてもすきだ、

絵空事なら燃やそう。わらってちぎって、片手間に踏んで、燃やそう、できれば、いますぐ、片手には煙草、それだけでいいと、ときおり、ほんとうにおもう。みてみぬふりばかりの、世界なら。あじをかんじなくなったチューインガムを吐き捨てるみたいに。



だいじょうぶ。わたしはわたし、きみはきみ、あのこはあのこ、あいつはあいつ、だから、だいじょうぶ。わたしはずっとおもっているし、わたしはいのりつづけているし、わたしはいのりつづける。それでじゅうぶんじゃない?
みんなひっそり、百面相するから、敏感なきみは、たいへんになるんだろ。ほら、ここだよ、しっかりしろ。

何色が足りないか、っていうのと、何色が欲しいか、っていうのは、ぜんぜん、きっと、ちがう。



キム・ギドク脚本監督作品「弓」を観た。90分の中に、十年以上の月日を視てしまった感覚が、した。言葉がいつだって必要なわけではない、彼の作品をみていると、そう、よくおもう。うつくしくて、どうしよもなく、なみだがでた。

いつだってどこか遠くにいきたいとおもってしまうし、いつだって、いますぐここで標本になりたいとおもったりする。



枕の下に、今夜みる夢たちが隠れてるの、しってた?そこにドアがあってさ、


どうにもこうにも、シエスタ



やわらかい




パンダは7本指だという。
スマトラタイガーには隠し指があって、獲物を襲うときだけそれが飛び出るという。ふくろうとみみずくの見分け方は?犬と猫を見間違えたり、おじさんとおばさんを見間違えたり、そんなのどっちだってええやんおたんこなす、とおもったりするという、わたくし。なかなかお口が悪い。まあ、たまには、おたんこなすについて考えてみるのもたのしい。
さーて、と腰を上げた瞬間に、部屋の電気がぷつり、それでも笑えちゃうくらいにはげんき。電力会社オペレーターの人が、すごくいい声だったから、ドノバンを一曲おねがいしたかったけど、よろしくおねがいしますと通話を切った。
きょうってば、あたたかい。



最大公約数みたいな言葉の中にもいろんな微生物たちが存在していて、アメーバ、ゾウリムシ、ミトコンドリアくらいしかしらないんだけど、ってそうじゃなくて、感情の微生物たち。つまんだり、たたいたり、くるんだり、3回噛んでぺってしたり、みつめたりして、変化していくのだとおもった。

わたしたちは食べる、------、排泄する。------、のぶぶんって目にはみえなくて、なにしとんじゃわれ、と脅してみてもやっぱりみえない。ずっとそこにいるのね、じゃあまかせたよ内臓くん、ってわけなのだけど、イカスミスパゲティを食べてから2日経って黒い物質が排出されたりしてびっくりする。トレンディなピンクとかだったらもっとショッキングだけど。感ずるところのインアウトもよくにているなあ、って。溜めすぎるとたいへんだから、音のヨーグルトとか、絵画の野菜とか、文字の大豆食品なんかを摂取したほうがいいのかな、たまには追憶のハンバーガーを、とかおもうけど、それってけっきょくじぶんが選びとるものだから、だいじょぶ。
ちょっと何言ってるかわかんない。でもそのうちこれらを図面に起こしてみたらたのしいかもしれない。


ポタージュを自ら好んで口にはしないけれど、浮いてるクルトンはだいすき。あんみつをわざわざ食べないけれど、ひっそりしっかり存在しちゃう求肥がすき。
じゃ、残さず食べましょうね。はーい


なんか、おおきく脱皮した。
あるいはくっきりと、膨らんだ。



きょうのごはんは何にしましょ、





すかんく




いま、Blankey Jet City ヘッドフォンでききながらソファに腰かけてる、くちづけ、そして斜陽、もう朝がやってこようとしてる、ウイスキーソーダはやたらとあまくって、窓を開けたら肌寒くて、フローリングで踊った裸足裏はよごれているからたのしくて、


ジプシーパンクで踊ろうとコンポのスイッチをつけたらながれてきたのはアフリカのサザエさんの声で、抜けた歯をおもいだしてかわいいなってわらった。レバノンの羊料理をつくろうとしたけどみんなを夢に追いやるのに忙しいのか逃げたのか、スーパーマーケットで選びとったのは牛の脚肉、それをパセリと玉ねぎとにんにくで煮込んでいるとちゅう、空腹に耐えられずに食べたパンで満腹になっちゃって、



記憶がごちゃまぜになってる、
おなじ言語を話しているのにやりとりができないひととの対話を諦めかけているけどどちらがいけないというわけではないとおもう、悪者になるのなら幼い頃から慣れちゃってて、かなしいけど。みんなみんな、黙り込むのが得意だ、問いかけて答えるのは面倒くさそうな目の色ばかりで。噛む犬は吠えない?そのとおりだとおもってしまうから、わたしはわたしがこわい。吠えなくなって、吠え方もわからなくなってしまうこと。そうして噛みつき合ったなら、いつどうなってしまうんだろう。精神と肉体がメビウスの帯をぐねぐね、泳いでる。



午後に目がさめたらスパゲティにしよう。こんやはパーティ




天下泰平





さいきん、おいしいものばかり食べている気がする。否、気のせいでは無くて、というよりも、いっしょに食事をする相手でも、味覚はずいぶんと変わるのだなあと感じている日々。どうしておなかは鳴るのだろ。生物学的にうんちゃら、っていうのはしりたくないから調べたりしない。



にちようび。
いきている音、を聞いて感じることのできる贅沢な時間を過ごさせてもらった。スピーカーとかの設備の違いや反響の仕方で、壁の絵画上の人物たちが今にも動き出しそうなかんかくがしたり、ぶら下がった照明が女体にみえたり、ラッパの中に放り込まれてしまったようになったり、人間の肉体はタマシイの器なのだと改めて感じたり。感覚たちの潤む瞬間。ふしぎ。

はじめて食べたエチオピア料理は、おいしくて、たのしかった。インジェラが舌に触れたとき、細胞にしみていく感覚がして。やっぱり、すべてはつながっているのだとおもう。空気中のいろいろが、まじりあっているみたいに。


あたたかいな。
気温とか、そういうのじゃなくて。




かなしいことがあると、だんまりを決め込む癖はよくない、と自身でおもう。怒っているみたいに誰かは感じるかもしれないし、空気が澱む。人の泣き声は、眉間の奥の方を刺激してくる。ミラー効果うんちゃら、の話じゃあなくて、なんでもかんでも鏡みたいだ。それならわたしは、わらっていたいけど、例えば、無理して転んでベソかいて、っていうのもたのしいかもね、遊園地みたいで。



きのうからずっと、カレーが食べたい。恨み節でも口ずさみながら散歩にでもいきましょか、ワルツのリズムにでも変えて。ノーテンキな呪縛霊ごっこ。



で、ごきげんいかが?






2+1=0



身体の調子がよくないと、いろいろな傷がじゅくじゅく、してくる。時間とか気温とか細胞分裂とか支払いとか責任とかまでが、追いかけてくるかんじ。あうー


きのう、夢をみた、
ものすごい速さで進む列車に乗っている。わたしは通路を歩いているけれど、他に乗客はいないようで、気まぐれに空席に腰掛けてみたりする、立ち上がってまた歩き回る、なにかの気配、だれ、こたえない、窓の外、景色がびゅんびゅん変わっていくけれど、ぼやけていてよく見えない、まぶたを細めてみたり、窓硝子に張り付いてみたりする、息を吹きかけて指でぐるっとなぞったのは数字かアルファベットか、どこに向かっているのだろう、と、

肌寒くて夢からさめた、そうだきょうは、きづいて、すごくねむたくてすぐ、まぶたをとじた、そしてまた、夢をみた、それは確か、白い路面に脚をとられる猫と視線が合う、降りはじめた豪雨はわたしをびしょ濡れにして、溶けかけた指先の煙草と血痕がかなしくて、まっすぐ歩こうとするのに白にもつれる、すこしわらう、煙草を買いに行く途中なんだったと思いだして、傘を捨てて、





きみのみらいには、なにがみえる?



赤い花が青くみえてきたらおしまい。ふと、そうおもったけど、たすけて、なんてやっぱりだれにもいえないし、わたしにとっていちばん頼りがいがあるのはわたしなんだぜ、ってかんじで。
やるしかない。よっしゃ


月が追いかけてくる、
走って家に帰ろう。




つづく